私の目指す未来
今、世界では3秒に1人の割合で人が死んでいます。そしてそのほとんどは、食べ物がないために死んでいくのです。 私はそれを知ったとき、大きなショックを覚えました。
私たちのまわりは食べ物であふれかえり、飢えて死ぬことなどまずあり得ません。どんな時間でもコンビニに行けば大抵のものがそろっています。そしてそれを買うためのお金もちゃんとあります。 それどころか私たちはその食べ物を残しては捨てているのです。 飢えて死ぬ人がいる一方で、あり余りゴミとなる食べ物がある。 こんな事が許されるのでしょうか。
私の通っていた中学校では昼に給食がありました。 ですが残さずに食べる人は少なく、中には1口か2口しか手をつけずに、ほとんどを残す人もいました。
しかし今私が在籍している愛農高校はそうではありません。だされたものはすべて食べるのが当たり前です。 どうしても食べきれないときは誰かに手伝ってもらいながらも、極力ゴミにならないよう努力します。
なぜ中学校と愛農高校とでは食事に対する意識がこんなにも違うのでしょうか。
私は2つの理由を考えました。
まず1つめの理由は、愛農高校では自分たちの食べているものをほぼ自給しているということです。 自らが汗を流して育てあげた野菜を簡単にゴミに出来るはずがありません。 また愛農生は実習で鶏の解体を経験します。
私も入学して3ヶ月ほどたった頃に解体を経験しました。片方の手で鶏をつかみ、もう片方の手で包丁を持ったときは頭の中が真っ白になり、何もすることが出来ませんでした。そして実際に鶏の首が切られるのを見た瞬間、『自分たちは命によって生かされている』ということを実感しました。
もう1つの理由は、自分たちのために毎日食事を作ってくれている調理師の人たちの顔をよく知っているということです。そして自分たちも実際に炊事に入り、大人数の食事を作ることの大変さを経験するのです。
毎日当たり前に食べていた給食のことを何1つ知らなくて、知ろうとした事もなかった中学生の頃の私に、「食べ物は大切にしなさい」といったところで、何の現実味も説得力もなかったでしょう。
しかし私は今愛農高校で、土を耕し、命とふれあい、毎日少しずつ生長していく野菜を見ています。その中で毎日おなかいっぱいご飯を食べれる事が、どんなに幸せで恵まれているのかという事に、自分で気づく事が出来たのです。
今の日本に少なからず不安を抱いている人は私以外にもいると思います。今の日本の食料自給率は40%以下で、先進国の中では最低の数値です。 それにもかかわらず、安い食品を大量に輸入してはムダに捨てている。 もし、天候や気象の関係で、もしくは食料を輸入する国が増えて、海外から日本への食料の輸入がストップしてしまったらどうなるでしょうか。 『お金はあるのに食べるものがない』 そんな未来を次の世代に残さないために、私たちは今何をするべきでしょう。
大事なのは『知ること』です。自分の食べているものは、どこで誰により作られたものなのか。自分たちが生きるために、どれだけの動物の命を犠牲にしているのかなど、私たちが生きるために絶対に欠かせない『食』についてもっと関心を持つべきではないでしょうか。 おいしそうな野菜や果物、肉などが、いつでもスーパーに並んでいる事が“当たり前”ではないのです。 そして、日本の農業を守るためにも、国内産の食品を買ったり、食べ残しをしないよう心がけたりと、行動に移す事が大切です。
また私は、少しでも多くの消費者の人たちに、生産者の立場になってみてもらいたいと思います。 家庭菜園をやってみたり、プランターにいちごを育ててみたり、どんな小さな事でもいいのです。 食べるのは一瞬でも、それまでにどれだけの時間と苦労が必要なのか。 それはきっと実際に体験してみてこそ、初めてわかる事でしょう。
生きるために必要な分だけ生産し、ムダの無いよう消費する。命を育てる仕事の苦労と喜びを知り、毎日の食に感謝する。 そして誰もが笑って過ごせる。 そんな未来を目指したい。