朝拝で選んだ聖句はルカによる福音書6勝37~42節。
仕事を通して自分が変わったところや考えてることを喋ったのですけど、
私は立場上どうしても人に指示を出さなくてはならず、
上に立つものなわけです。
人にあれこれいってるけど自分はどうなん?
自分一人変えられやしないのに、人を変えようとするわけ?
ってなことを突きつけられることがあまりに多かったからねぇ。
それでも奢ってしまう自分や手を抜こうとしてしまう自分と
どうやってたたかったいいんだろうかいねぇ、と、
そんなことをつれづれに思うわけです。
私は信仰をもっていないし、聖書が愛読書ではないのですけど、
それでもこの職場で長いこと暮らしてるので、
そこそこおなじみにはなっておりまして。
きっと信仰を持った目とは全然違う見方しかできやしなのですが、
それでも共感できるところはあるんですね。
今回のこの「人を裁くな」の部分は「そやねぇ」っと呟けるところ。
マタイ7章の方が元みたいですけど、
こっちの方が言い回しがしっくりくるのよね。
せっかくなので、追記の方に引用します。
ルカによる福音書6勝37~42節 人を裁くな
「人を裁くな。そうすれば、あなた方も裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。
そうすれば、あながたがも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなた方も赦される。
与えなさい。そうすれば、あなた方にも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、
ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の計る秤で計り返されるからである。」
イエスはまた、たとえを話された。
「盲人が盲人の道案内をすることが出来ようか。
2人とも穴に落ち込みはしないか。
弟子は師に勝るものではない。
しかし、誰でも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
何故自分の目の中の丸太に気付かないのか。
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、
どうして言えるだろうか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
礼拝のお当番、緊張しますよねー。
お疲れさまでした!
私も聞かせて頂きたかったです。ざんねーん!
>あひるさま
焦ってもろくなことはねぇ、
緊張してることはいいわけにはならねぇだっ、
と、自分にいい書かせつつ、壇上に立ちますが、
ここに来て、学期に一回づつ×毎年
喋っているはずなんですけど、
なんでこんなに上達しないのだろうと思います。
心に響く自分の言葉をもっていて、
しかもそれをきちんと伝えられる生徒が
必ず学年に何人かいるのですけど、
どんな風に育てばそうなるんだ?!?!と
いっつも尊敬の対象にしてしまいます。
いえいえ、あれだけ素敵なおいしそーな(ってことは残念ながら私はまだ味わったことがないので)お食事を精力的に提供しておられるハッチさま、きっとスパイスの効いた味わいのあるお食事のようなお話をなさった事と信じていますよ。
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